■2004-02-17
* [りなざう] jnethack Qt
パッケージからSDに導入。説明通りしてみたのですが、"No write permission to lock perm!" と出て起動できず。パーミッションは問題ないのに……と色々いじってみたら、シンボリックリンクのある/opt/QtPalmtop/share/jnethackqtdir の所有権限をroot -> zaurusに変更することで解決しました。ので、一応メモ。
* [Perl] alarm()
win32上のPerlではalarm()が実装されていないとあります。ところがChangesやソースを見ると5.8以降で実装されています。win2k+activeperlで試したところ確かにalarmは効きました(use Config;して$Config{d_alarm}の値をチェックすれば実装されているかわかります)。
でも先日日記に書いたIO::File::flockのタイムアウトはやっぱり有効になりません。どうもflockとalarmは共存できないみたいです。alarmの実装に使われているsetTimerに由来するのかなあ?
* [雑感] 壁はビラを貼るために
「落書き」事件判決/「何が」汚いのか。うーん、これは論点が素晴らしく良くまとまってるなぁ。以前、大学の壁にビラが貼られまくって「表現の自由対美観」問題が生じたので、この事件、行方が気になっていたのですが。ちなみに私は、壁は建物を支えるためと、ビラを貼るために存在していると信じてやまないので、(私有物はダメですが公共物に対しては)好き勝手に貼るのOK、などと寝ぼけたことを思っています(跡がつかないように工夫しますが)。そのビラに異議があるなら勝手に剥がすのもOK。そういうアナーキーな状態の中で苦労してこそ秩序が生まれる、というのが当時私の得た経験でした。……本当かいな?
グラフティを描いた人への批判という形でかろうじて「表現者としての主体性」を獲得するという程度の薄弱な主体性しかないのではないか
(この事件とはずれますが)何かに異議を唱えることが一種の表現活動であることを考えると、「反対することに何でも反対する人」(例:イラク戦争反対に反対、イラク派兵反対に反対等々、って例が思いっきり偏って)が最近多い(ような気がする)理由の一端がこれなのかしらん。
法の適用は軽犯罪法で良いと思いますけどね。だけど(公共物であっても)落書きやビラ貼りはどんなにそれが美しくてもこの日本においては僕には許せるモノじゃないですねぇ…… もっとも美観についてどうこうってのは論理的に話せるモノじゃないと思いますが。
「どんなにそれが美しくても……許せるモノじゃない」としている点で、Tさんにとってはそもそも美観は関係ないということですよね。<br>そこで次の点。Tさんにとって、「許せない」というのは、どういう意味(法的、道徳的、等々)においてでしょう? またなぜ、「この日本においては」許せないのでしょう(他の国・地域ではOK?)?<br><br>ちなみに私は、上で述べたのは半分冗談としても、”理念として”は公共空間に対するビラ、ペインティング等の表現行為があってよい(むしろ公共空間であるからこそ)と思っています。<br>もちろん現行法制度に基づいてその行為が罰せられることもあるでしょう。<br>つまり、法的には許されなくとも、道徳的には許される場合があると考えるわけです。
許せないっていうのは道徳的+感情的なところからです。だけど、たとえば「ベルリンの壁」とかを引き合いに出されては、当然論として弱いのがわかります。それゆえ、「道徳的に許される場合がある」場所があることは十分理解できるので、「日本においては」と書きました。<br>とまれ、僕の全体感は「美観については論理的に話せるモノじゃない」というところでお察しいただければと。
うーん、感情的に許せないということでしたら、この問題に限らず何かを論じる意味なんてないわけでして。<br>それはさておいても、なぜTさんにとって「ベルリンの壁」の落書きが許せるのかがわかりません…… 言い換えると、Tさんにとって「ベルリンの壁」という場所がどういう意味を持つのか、またなぜ日本において「ベルリンの壁」にあたる場所が存在しないと断じられるのか、その根拠がわからなということです。
そうですね。都市建築デザインを専攻していた手前、調和があり、秩序だっている空間を求めていたわけなので、感情的な意見で、ツッコミにも関わらず文章の展開が不適切でしたね。まかまか氏より感覚的にモノをとらえてしまい、(いつものことのようですが)今はうまく語ることができない状態です。ドツボにはまったとでもいいましょうか(苦笑)。自分の考えが変わったわけではないのですが、この場で説明責任を果たせないところ、ご容赦を。(久々に電波を飛ばしたかもしれん……)
いえ、感情的なものは、それはそれでいいんです。いつでもそこが出発点ですから。ただ、そこから一歩足を踏み出さないと、「ダメなものはダメ」という、懐かしいスローガンで終わっちゃうわけでして。<br>まあ、今度飲むときにでも可能でしたら説明よろしくお願いします。