-1- 私と漫画 前口上
全てのマンガ道はド-ラへと続く1
皆様お元気でしょうか。気がつけば私もはや××歳。目を閉じれば浮かんでくる懐かしい青春の日々。は無かったかよぉ。シクシク。いまさら年を隠そうと悪あがきを続ける私ですが、寄る年波には勝てません。ある日ふと「このままではいかん! いけませんよ!(震え)」と一念発起して「『花とゆめ』断ち」2を思い立ったのでございます。あれから半年(2002年8月)。ついに私は『花とゆめ』を卒業したのです!おめでとう!
そしてめでたく現在は『メロディ』3へと発展的解消〜 ……だめじゃん。いやね、『花とゆめ』も、もうなんだか読みたいような作品がなかったんですよ。最期の方は「宇宙の果て」「天然水族館」「しゃにむにGO」「闇の末裔」4ぐらいしか読む気がしなかったし。あ、「闇の末裔」は惰性か。ああ、でも「しゃにむに〜」は続きが読みたいな5。
私は小さい頃から漫画ばかり読んでました。ええ、今も読んでおりますよ。寝る間を惜しんで漫画読みますからね。さすがにこの歳(どの歳?)になると「人としてどうなのかしらん」とか思っちゃうわけです。結構不安です。しかたないから、とりあえずこんど夜中に一人で「いいよね?」って壁に向かって語りかけてみようと思っています。暖かく見守ってやってください。
ところでですね、最近なんと申しますか、心の奥底に何やらもやもやとしたものが湧いてくるんですよ。漫画だけじゃなくもっと小説を読んでおけばなあ、とか、どうせならもっとたくさん漫画を読んでおけばなあ、とか。勿論、今からやればいいだけのことなのですが(たぶんやらない)。それはそれとして、もう一つ、漫画について思うことをあれこれと書いてみたいという気持ちになってきたのです。…やっぱり歳とったせいでしょうかね?あるいはCGIつくりに疲れて現実逃避をしようとしているのかもしれません6。とにかく、何か書いてみたいと。
ここまで書いてふと思いました。ここ数ヶ月、電車の中で徒然草7を読み直していたのですが、あのこしゃくな爺ぃの書き物を見ているうちに自分も随筆めいたことを書いてみたくなってきたのではないでしょうか。そういうわけでこの機会に私が出会った漫画との思い出について書き散らしてみることにします。題して「私と漫画」。そのまんまです。あ、日誌などご覧の方はご存じの通り、私の読む漫画は「少女漫画」8と呼ばれるジャンルに著しく偏っています。ですので、「少女漫画」を読んだことがない人、知らない人には全くつまらない9ことこの上ない代物です。
資料等がすぐに見つかるものに関しては出来る限り確認を取りますが、あとは記憶を頼りに書いていますので、間違いや勘違いが多々あるかと思います。ご指導・ご指摘いただければ幸いです。なお、本文中では全て敬称略していますが、心の中で皆深く敬していることは言うまでもありません。
それでは私の幼い頃読んだ漫画から順に進めていきましょう。
つづく
よゐこ(わからんぞゴルァという人)の為の脚註:
欧米の文学や論文のように、何か気の利いた引用句でもと思ったのですが、案の定失敗です。
『花とゆめ』断ち…一種の精神的断食。などと書くと本当にダメ人間っぽいですよ。ちなみに『花とゆめ』(以下「はなゆめ」と略記する場合あり)は白泉社の隔週発行少女向け雑誌。かつては独特な雰囲気を醸し出していたが、最近は小さくまとまってしまったようで甚だ残念。私はこの雑誌を足かけ1X年読み続けてまいりました。そのためこのコーナーは白泉社系の漫画がを知っていると2.57倍は楽しめるかと。「はなゆめ」に関しては別項で取り上げる予定。
『メロディ』…白泉社の月刊誌。『花とゆめ』や『LaLa』10などから陶片追放された作家が最後にたどり着つく約束の地。…すいません、この説明たぶん間違ってます。
単行本化されている。「宇宙の果て」…『宇宙の果てからこんにちは』(望月ぱすた,ジェッツコミックス) 「天然水族館」…『天然水族館』(杉原涼子,ジェッツコミックス) 「しゃにむにGO」…『しゃにむにGO 』(羅川真理茂,花とゆめコミックス) 「闇の末裔」…『闇の末裔』(松下容子,花とゆめコミックス)…いずれも『花とゆめ』に掲載されている作品。現在も続いているかは未確認。「闇の末裔」はファンサイト多し。専用のサーチエンジンまである。なかなか良いのだが、段々話が破綻してしまうのが玉に瑕。とかいいながら全プレCDやビデオクリップを持っていたりする。これらの作品については「私とマンガ」第23章4節「個別作品の紹介」を参照14。
果たして私は本当に『花とゆめ』断ちできるのでしょうか。一抹の不安を感じてなりません。
誰ですか、「おまえCGIづくりも現実逃避だろうが」などと私の耳元で囁く人は。そうやって私を苦しめようとする諸君らの魂胆はわかっているんだ。もうダマされないぞ!
私は清水書院の『徒然草全釈』を愛用しています。この本の見所は、恐ろしく丁寧かつ慎重で教育的な注釈にあります。(『徒然草全釈 -語釈・文法・参考』松尾聡,清水書院,1966:1989)
作家ミヒェエル・エンデは自らの作品を「児童文学」という言葉でくくられることを嫌がったといいます。世に数多ある作品をば少女漫画とくくるのは如何なものか?ゆえに括弧でくくりましょう。
知らない人には全くつまらない…「世の中には知らなかったほうが良かったということがある」と、かの夏目漱石もどこぞの講演会で述べております。あなたは知らなかったことを喜ぶべきです。しかし例え「少女漫画」の知識があっても筆者の極度に限定され、かつ閉ざされた知識に基づいた文章はつまらないことに代わりないでしょう…ささ、お帰りはこちら。
『LaLa』…白泉社の月刊誌。私にとっては「みかん絵日記」11と「っポイ」12が読めた雑誌という以上の意味はありません。しかし今これらの作家の作品を読めるのは『メロディ』においてとなっている…
「みかん絵日記」…『みかん絵日記』(安孫子三和,花とゆめコミックス) 喋る猫科の物語。吐夢と世良がラブラブの頃が一番良かったな。
「っポイ」…(『っポイ!』,やまざき貴子,花とゆめコミックス) タカトラの切ない恋が泣けてくるのですが。 それはさておき、この作家の作品はどれも素晴らしいです。「ムシ」シリーズは泣けますね。ただ、「ZERO」は失敗したAKIRA13っぽい感じがするのですが…
『AKIRA』(大友克洋,講談社…ちょっと不正確な気もしますが、まあいいや) 近未来SF(じゃなくてサイキック?)漫画。この本を読むきっかけは、単に私の叔父の名前が朗(あきら)であったため、気になったから。 どうでもいいが脚註をつけてもつけてもきりがない。疲れた。脚註を整理するためだけに深夜にperlでスクリプトを組んだ私は馬鹿ですか。
今はまだ、ない。そしてたぶん、これからも。
この脚註に対応する番号は本文にありません。脚註ばかりみていると足下をすくわれます。そんなことよりも、本文と脚註が同じぐらいのスペースをとっている時点で、この随筆が破綻している気がしてぐんにょりなのですが。
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